Tuesday, February 7, 2006

「ゆう」の意味、違いの意味。



そういえば、松岡さんと私は同じ「ゆうすけ」という名前だ、という話は何度か話題ネタにしてきました。私は「裕介」という字を書くのですが、なぜか多くの方は「祐介」という字だと認識されるようです。*1知人から貰った、誕生日のお祝いメールで名前が間違っていたのは、ちょっと淋しい、ですよね。 orz





裕の字は「衣へんに、谷」つまり、谷ができるくらい衣服がたくさんある様子を指し、祐の字は「示へんに、右」つまり、祭壇にいけにえをささげて血が滴る(そして、天に祈る)様子の「示」と、口をかばう「右」手を使って助ける、という字がくっついて、「天の助け」という意味を指します。


こう考えるとぜんっぜん意味が違うんですよねー。





それでも、一度覚えまちがえてしまったり、「字ぃは違うけど、おんなじ意味やろ」と思い込んでしまうと意識を変えるのはなかなか難しいもの。*2


そして、私も同じように、誰かの名前を覚えまちがえたり、顔をちゃんと覚えていなかったり、と失礼なことをしてしまっていたことが多々あります。





ほかにも、魔法遣いに大切なことを見過ごしていたり、漫画で指が6本描かれていても気が付かなかったり、それもまた若さ故の過ちというものだったり・・・


って、ここまでくるとちょっと違うか。








でも、「過ちに気付いて、それを認めて、改めることも大事だよなー」「そうやって少しずつでも自分を良くしていきたいなー」なんてことを誕生日に思ったのです。


<間違いをせずに生きるものは、それほど賢くない>とも言いますし。




それに、間違いや勘違いや誤変換からでも、新たなモノを生み出すことだってあると思うのです。ほら、「ゆうすけ」を「結う」「助」と間違えて書けば、何かとの結びつき=交流を助けているみたいですし、ね?*3




*1:ちなみに、以前「裕福のゆうに、介助のかい」と名前を説明したら、その会社からの届いた郵便物の宛名は「福助」になっていました・・・。
f:id:japanfoundation:20060207181550j:image「ジョークに違いない」と自分を納得させつつ「それにしてもこれでよく私のところに届いたもんだよなー」などと変に感心させられてしまいました。それ以来「石原裕次郎の裕に、いかりや長介の介です」と説明するようにしているのですが、これはこれでどうも微妙なボケを狙っているように見えるらしく、ちょっぴり不服です。


*2:付き合いの長い友人でも、苗字の読み方を「なかじま」だと思っていたりします(まあ、読み方が違う理由は私も詳しくは知らないし、特にはツッコまないので当然なんだけれど)。磯野~。


*3:ところで。地方行政機関で、「ゲーム脳」のようなトンデモ理論が幅を利かせ、そうかと思うと「ジェンダーフリー」に関する講演会を中止して言説を封じ込め、あるいは台風の所為にして舞台公演を中止に追い込む・・・といった事例が見られます。
なんでかな?・・・かな?
字の成り立ちと同じで、モノゴトの内容や成り立ちから考えていけば、その妥当性だってある程度は判断できるだろうのに・・・。「公的機関のオタ連合」というコミュニティをMixiに作ったわけですが、堅苦しく言えば、「オタ連合」の存在意義の一つはこういう「暴力」に内部から抗うことなのだと思います。
また、artifactで「ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に」という2月7日付けの記事がありましたが、少なくとも中島個人としてはこの記事に、特に「文化のグローバリズムには対抗したい」という点に、強く共感をしています。





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