Monday, May 28, 2007

アチェ:子供向け芸術交流事業を通じた元紛争地の復興支援事業(第一弾!)




突然ですが、「アチェ」と聞いて、地図がぱっと頭に浮かぶ方はどのくらいいらっしゃるでしょうか (゚ペ)?



「確か、インドネシアだったよね?」


「スマトラ沖地震のときに、大きな被害を受けたところだよね??ってことは、タイとかの近く??」



そう、そうなんです。

改めて地図を開いてみると、インドネシアのアチェは、スマトラ島の最北端にある地域*1。リゾートとして人気の高いバリ島などとは、首都ジャカルタをはさんで反対側、しかも、かなり北に位置するので、マレーシアやタイに近いんですね。


f:id:japanfoundation:20070523162506j:image


さて、場所がしっかり確認できたところで本題です。


ご存知の方も多いと思いますが、アチェは、2002年に独立した東ティモールなどと並んでインドネシアの中でも独立要求の強い地域。かねてから、国軍と武装派ゲリラとの衝突が絶えず、特に中央政府との緊張関係が高まった80年代後半以降、一般市民にも多くの犠牲が出た地域です。





幸か不幸か、2004年末のスマトラ沖地震・津波の発生をきっかけに、「被災地」としてのアチェには日本を含めた世界各国から支援の手が差しのべられていますが、一方で、「元紛争地」としてのアチェへの支援~特に、肉親を失ったり、拷問現場を目撃してしまったりして心に深い傷を負った子供たちへのケア~は十分に行われていないとの報告があります。





f:id:japanfoundation:20070415120959j:image:leftそんな中、「元紛争地」のひとびと、中でも、将来を担う子供たちの「精神的復興」のプロセスに「文化・芸術交流」を通じて積極的に関与していけないだろうか、との視点から企画・実施に至ったのが





 「アチェの子供たちと創る演劇ワークショップ~子供向け芸術事業を通じた元紛争地の復興支援」 




事業 です*2。先日、その内部報告会 が行われ、職員の間で熱心な意見交換が繰り広げられました*3。今日はそのご報告(第一弾)です。





紛争自体を「直接的に」語ったかどうかは、さして問題でない。敵対関係にある親を持つ子供同士*4が交流したということ自体が大きな意味がある






報告会で私が特に印象に残った言葉です。


プロジェクト実施後の反省会で、共催相手の「コミュニタス・ティカール・パンダン」の方たちが語った言葉だそうです。





なぜこれが印象に残ったか。


あるエピソードを紹介しましょう。

実は、事業実施後、JF職員の側にはあることが「反省点」あるいは「課題」として気にかかっていました。というのも、プログラムの二日目くらいから、特に紛争被害のひどかった地域の子供たちが「早く帰りたい」「自分の意見を発表したくない」と言い始めて部屋から出てこなくなってしまうというハプニングがあり、彼女たちの状況を見て、プログラム後半でグループに分かれて行う演劇作品づくりにおいて直接「紛争」や「平和」を取り上げるのは難しいと判断。その前段階として「それぞれに異なるバックグラウンドを持つ3地域の子供たちの間のコミュニケーションをよくすること」に主眼を置く方向に転換を余儀なくされたからだそうです*5





この事実をどう判断するのか。。。


たしかに、ある意味、それは当初の事業目的を達成しきれなかった、という判断にもなるのかもしれません。職員の質疑応答の中でも、「“子供の文化活動を通じた地域の活性化”も重要であるが、やはりもっと“元紛争地域”ということに焦点をあて、トラウマ・ヒーリングという観点を強く意識すべきではないか。また、いかに対立を乗り越えるか、いかに互いを受容できるか、さらには、そのプロセスに文化・芸術交流はどのように貢献できるか・できないのかについてきっちりと報告をまとめられるレベルにまでもっていくことを期待したい」といった意見も出ました。




ですが、足場のないアチェの地で*6、カウンターパート探しから手探りではじめた第一回目の試みであることを考えるとき、上で引用した言葉に加え、



「一部の子供たちが早く帰りたいと言って部屋に閉じこもってしまった」、そのことに既に複雑な紛争の歴史が浮き彫りになっているのであり、それを乗り越えて、最後は全員が自信に満ちた顔で発表会を行うことができただけでも十分な成果ではないか」



という共催団体の方の言葉は非常に示唆的ではないでしょうか。




f:id:japanfoundation:20070415173759j:image:right「JFのこの事業がなければ交わることのなかった子供たちに交流の機会を与えられたこと」、「子供たちがたった一週間ほどの交流を通じて目の輝きが変わるほどに生き生きとした表情にかわっていったこと」、「今でも事務局宛に連絡があり、3地域合同の文化祭をやりたい等のアイデアが出ていること」・・・それらの一つ一つが貴重な第一歩だったのではないかなーと、ビデオ映像の中で楽しそうに伝統舞踊を踊る子供たちの笑顔を見ながらぼんやりと考えました*7





・・・なーんて、オレペコの報告は置いておいて(しかも、ながっ!!(--;))、みなさんがきっと気になっているのは、事業を担当した職員の生の声ですよね!ご安心ください。実際に現地に赴いて子供たちとかかわった方ならではのコメントをいただく予定です。参加した子供たちはどんな子たちだったのか、その子たちが具体的にどんな風に変化していったのか・・・こちらは改めて掲載しますのでお楽しみにー!


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*1:地図中、赤の斑点で示したあたりです。なお、今回の事業はその中でも最北に位置するバンダ・アチェの郊外で実施しました。


*2:この事業は、ブログでも何度かご紹介している「先駆的・創造的事業」枠(=社内の新規事業コンペ)で実施された事業です。この仕組みのおかげで、東京本部に戻っても、海外事務所での経験を活かし、ある国や地域の事業にかかわっていける可能性が広がりました。ちなみに、これまでご紹介したコンペでの採用案件には、「動画スクウェア」、「カラオケ日本語学習キャラバンinブラジル」などがあります!


*3:このように、内部での勉強会・報告会を実施することにより、ある職員の経験が他の職員にも共有されますし、事業がさらによりよい方向に展開するような助言を得ることもできるのでとても貴重な機会です。特にオレペコのように、まだ海外事務所で勤務したことがない職員にとっては、現場での成功談・失敗談を共有できるまたとない機会となります。もちろん、外部の方向けの報告会はしかるべき時期に実施予定ですのでご心配なく!


*4:国軍兵士を親に持つ子供、ゲリラ兵士を親に持つ子供、兵士に肉親を殺害されてしまった子供・・・あるいは、親インドネシア政府の親を持つ子供、独立支持の親を持つ子供等々。


*5:参加する子供たちは、共催相手の協力を得て、アチェ内の三つの地域からそれぞれ10名ずつ、計30名を選びました。


*6:ジャパンファウンデーションはジャカルタに事務所を持っていますが、不安定な社会情勢などの影響もあり、これまで、アチェ地方での事業の実績は多くはありません。


*7:もちろん、事業の担当職員たちは、内部報告会で出たさまざまな意見を非常に真摯にとらえています。というのも、実はこの事業、一回きりで終わる事業ではなく、今後、インドネシア側の関係者を日本に呼んでの検討会や、第二回交流事業(2008年の早い時期を予定)、さらには交流の模様を描いたドキュメンタリーフィルムの作成などなど、今後もさまざまな展開を予定している事業だからです。





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